Jam 2024年9月号

支援団体活動レポート JA福岡市管内で、農業振興や地域の活性化に取 り組む団体を表彰し資金援助する「元気なふるさ と応援基金」。今年も支援団体が決定しました! 宮崎安貞翁 顕彰会 福岡市西区 宮崎安貞の墓石や顕彰碑、書斎などを40 年以上にわたって管理しています。 宮崎安貞翁史跡管理人・顕彰会副会長 昨年、会長として「宮崎安貞翁生誕400年 顕彰祭」を大成功に導きました。 宮崎安貞翁顕彰会前会長 日本初の体系的農書『農業全書』を著し、 江戸期の三大農学者と称された宮崎安貞に まつわる史跡の環境保全、補修を担うとと もに、『農業全書』の保存委託もおこなう。 「福岡で農業に携わっている者 で宮崎安貞の名前を知らない 人はいないでしょう」  そう教えてくれたのは、祖父 の代から宮崎安貞の史跡を維 持・管理している三島新利さ んです。自宅から程近い場所 にある安貞の墓地や書斎の清 掃作業をおこなうほか、地元 の小中学校で、安貞について講 演をおこなうこともあります。  宮崎安貞は、江戸期の三大 農学者に数えられる偉人。元 和9年(1623年)、安芸(現 在の広島県)で生を受けた安 貞は、福岡藩主・黒田忠之に 仕えたのち、 30歳の時に職を 辞し、近畿・中国地方を巡って 農業技術を学びました。その 後、福岡に戻った安貞は、現在 の西区女原に居を定め、自ら も農業に勤しむとともに、農 民達に 技術を指南。 農学者・宮崎安貞の功績を 未来の世代へと語り継ぐ 後世に語り継ぐため、さまざま な活動をおこなっています。 「西都校区に公園ができた時 も、私達が運動して『宮崎開き 公園』が愛称になったんです よ」と顕彰会前会長の赤池成 昭さん。すでに後進に道を譲っ ていますが、「顕彰会を持続可 能なものにるためには、どう すればいか」と現在も考え続 けています。 「昨年は安貞翁の生誕400年 を記念し顕彰祭を開催しまし たが、これを毎年おこなうのは 会員の負担が大き過ぎる。将 来にわたって続けていくために は、無理なくできる範囲でおこ なうことが重要です。法要は 毎年おこなうしても、顕彰祭 は3年に1回くらいの頻度に なるのではないでしょうか」  西都校区では、顕彰会の皆 さんの奮闘に加え、地域住民 の協力もあり、安貞の功績を 次世代に繋ぐ土台はすに築 かれています。周船寺や西都の 小学生達は、学校で安貞につい て学んだ後、書斎などを見学 に訪れます。そんな時は、三島 さんがボランティアでガイドを 務めています。 「子ども達は学校で勉強してい るので、安貞翁についてすごく 詳しい。聞いてくる質問も難し いものが多いんです」と三島さ んは嬉しそう。  後世に多大な影響をおよぼ した「農業の巨人」宮崎安貞の 存在は、地域の誇りとして、 人々の心の中にしっかりと根を 張っているようです。  元禄9年(1696年)には、 『農業全書』 10巻( ※ )を書き 上げ、刊行するやベストセラー に。後には「明治時代以前の最 高の農書」と賞賛されました。  女原とその周辺では私財を なげうって開墾事業をおこな い、4町を超える新田を開発。 そうして生まれた田畑は「宮 崎開き」と呼ばれ、現在も地名 として残るほか、周船寺小学 校、元岡中学校、西都小学校の 校歌にこの言葉が盛り込ま れています。 「今の糸島農業高校は、私が在 学中は安貞高校だったんです よ」と三島さん。それほどまで に、安貞がこの地に残した足 跡は大きなものでした。 昭和 38年に発足した宮崎安 貞翁顕彰会は、 の偉業を 顕彰するととも その記憶を みや  ざき けん しょう  かい やす  さだ  おう Jam 2024 September 令和 5年度 元 気 なふ る さ と応援 三島 新利 さん 赤池 成昭 さん 認定活動 答えてくれた人 江戸初期の農学 者、宮崎安貞。安芸 (広 島 県)で 生 まれ、 25歳の頃から黒田藩 に仕えました。 ※『農業全書』の第11巻は、付録として、儒学者・貝原益軒の兄、楽軒が著したもの。 03

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